🪐❄️幸せって何かな【看護_φ(ˇ‿ˇ*)φ_スピリチュアルペインという難しい痛みを考える。静かに】×【「ナース」×「好きでしかたない」=ナース起業物語】
今週のお題「ホーム画面」
こんな大きなテーマ
「幸せ」
にふれる事になった。
私は
苫米地博士の影響を受けて
博士の理論である「脳のはたらき」を15年くらい独学で学習した。
博士が影響を受けたであろう
ルータイスのコーチング
釈迦の思想
yogi成瀬雅春さん等
私も真似して学習し今日も人生のヒントをもらっている。
「脳のはたらき」的には
幸せというのは、ドーパミンが積極的に出ている状態と言えるようである。
そして
幸せになる事を単純にいうと、苦しみがなくなる事である…という事らしい。
これはAIの研究分野の言葉であるので多少誤解しそうになるが
人間の場合、苦が全て無くならない事を前提に、あえてこう述べていると私は解釈する。
確かにその通りであるが人間の私達にとっては簡単ではない。
釈迦は生きることは苦の1つと言い
だからといって苦のない人生が良いという事でもなく
ちょっと苦労しても社会で役に立てたら嬉しいし
幸せを語るには難しい。
私は
幸せについて、まだはっきり言えないが
苦しい事や辛い事の1つ「身体の痛み」を和らげる事を
お仕事にしている。
***꒰ღ˘◡˘ற꒱***
身体の痛みを和らげる事
このお仕事をはじめた時から
じぶんの仕事が何なのか
ぼんやりしていた。
ハワイの伝統医療の全てを言語化して解釈する事は難しい。
マッサージだけど
身体の痛みが和らぐだけではないし
じゃあ何なのか。
さらに私は看護師でありセラピストだけれど
看護師である私は今誰の為に何をしているのかも
うまく言えなかった。
うまく言えないが
その時間
言語であり非言語であり
たくさん対話があったことだけは
確かだった。
そもそも
必死にマッサージを繰り返して考える余裕もなくて
これらを整理し始めたのは
コロナ禍でお仕事が激減したタイミングだった。
***꒰ღ˘◡˘ற꒱***
衝撃のロックダウン
衝撃のロックダウンだったが
休む事は
じぶん自身の身体の違和感や痛みを知って
治すことだらけだと気づき
身体を強化する時間になった。
休む事で
朝が来る事を意識して過ごした。
朝が来るって事は
また1日が始まったという事だといちいち意識して
じぶんの存在も意識する。
私って何をしている人なのだろうか。←ちょっとネガティヴ。
ネガティヴになったとはいえ
これまで深く考えない上に駆け足過ぎた。
休む事で
blogを再開した。
このblogはじぶんを観察して
じぶんの中の
モヤモヤの正体やネガティヴを探るツールとしてスタートした。
モヤモヤする感情は
身体にも生活にも人生にも影響することを知った。
そこに気づいてからは
様々なじぶん実験を繰り返した。
そして
自称執筆家になる夢を叶えた。
そして
じぶんの観察ができるようになった時には
周囲の人達の身体と感情に気づくようになった。
休む事を言語化した今日
休んだ時間は幸せな時間と認識している。
違和感や痛みに気づいて
一部分でも対処できたら幸せなんだと思う。
もっと幸せになりたいと欲張っても
現状に満足するじぶんであっても
幸せに違いない。
51歳になって
年相応の痛みを細かく知って
細かい幸せも知ることになる。
***꒰ღ˘◡˘ற꒱***
年相応の痛みの1つ
スピリチュアルペイン
人間であれば
幸せってなんだろう
これでいいのだろうか
私に何ができるのだろう
人生って何だろう
そんな風に漠然と悩んでいる。
高齢者や病気に対してのスピリチュアルペインは
医療の中でフォーカスされてきた。
医療の外側にも多かれ少なかれ人間みんなに有る。
人間の脳はそういう風にできている。
病院でもない
訪問看護でもない
保健センターでもない
どこにも当てはまらないサロンの中で
小さな幸せに気づくアイデアを提供する事を
これからも続けていきたい。
***꒰ღ˘◡˘ற꒱***
自称執筆家の携帯のホーム画面は
はてなblogのアプリ
pagesのアプリ
が輝いてきた。